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沖縄と日の丸・君が代(本田靖春) [日の丸・君が代]

ノンフィクション作家、故本田靖春氏の日の丸・君が代に関する一節(『我、拗ね者として生涯を閉ず』講談社、2005年)をご紹介します。

 少数派、社会的弱者の側に身を置くと、何が見えるのか。人間社会の不条理である。

 国旗・国歌の法制化もそれであろう。国家には国旗と国家はいわばつきものであって、オリンピックのようなとき、なければ困る。私も、そのこと自体をとやかくいうつもりはない。でも、日の丸・君が代の法制化となると、話は別になってくる。

 各種の世論調査に示されているように、国民の圧倒的多数が、日の丸・君が代を支持している。それなら、そのままにしておけばよいではないか。とりわけこれといった不都合もないのだから。

 そうであるにもかかわらず、なぜ、あえて法制化を強行したのか。

 権力者の側にとって、日の丸・君が代に異を唱えるものは、長年にわたってシャクのたねであった。いまは死語になっているが、心情的には「非国民」のレッテルを貼りたいところであったろう。

 法制化は、そういう「不埒」な人たちに対する、明らかな押しつけである。そこでまず、沖縄に思いを致さずにはいられない。

 かつて琉球王国を形成していた人たちとその子孫は、私たちヤマトンチュウとは異なる民族である。

 沖縄が太平洋戦争に巻き込まれて、ただ一県だけ地上戦の場となり、婦女子を含む多くの人びとが、悲惨な死を遂げた。彼らの日本国に対する思いは、たいへん複雑である。

 戦時下、沖縄では朝鮮におけると同様、「皇民化教育」が推し進められた。一つの色に染め上がることを押し付けたのである。戦争の記憶につながる日の丸・君が代に拒絶反応を示す人たちがいても、なんの不思議はない。いや、その方が自然であろう。

 在日米軍基地の75パーセントを引き受ける沖縄は、戦後、半世紀も過ぎたというのに、その悩みから解放されていない。

 それは、なぜか。ヤマトンチュウは、口先では「基地返還」をいうが、本気にならないからである。つまり、沖縄問題は他人事にしか過ぎない。

 そういう日本国に対して、忠誠心を求められても、素直に応じるわけにはいかないではないか。


関連記事:「日の丸・君が代論議」(色川大吉)






我、拗ね者として生涯を閉ず 下 (3) (講談社文庫 ほ 3-9)

我、拗ね者として生涯を閉ず 下 (3) (講談社文庫 ほ 3-9)

  • 作者: 本田 靖春
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/11
  • メディア: 文庫



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